時を経て感じるもの

彼の訃報を知ったのは、新聞記事…
かつて、その華麗な筆運びの虜になり、愛読していた我が青春の、ひとつの頁が永遠に閉じてしまったのを、感じました
もう、彼の新作は生まれない
この本は、昔読んだことがあったかどうか…すでに記憶も曖昧で、読了後も定かには分からなかったのですが、私の胸に響いたのは、緻密なストーリーや、登場人物の丁寧な心理描写などではなく、(もちろん、そのきめ細やかさが、彼の真骨頂であることに変わりはないのですが)、ただひとつの、哀しい愛のかたち

本文を読んでいなくとも、感受性の豊かな方なら、感ずるところがあると思いますので、ちょっと抜粋してみましょう
「レイ子は二種類の目でしか私を見たことがなかった。尊敬と同情と。レイ子はいつも私ではなく私の年齢を見ていたのだ。」
「今から思うとその年齢だけが、私がレイ子を愛し、あんな途方もない馬鹿げた計画に協力を誓った理由だったのかも知れない」
「私は四十過ぎた男が、自分の子供ほどの年齢の若い娘を愛してしまった時、いったいどんな気持ちになるものかよくわかっていたのだ。絶えず娘のその若さに脅迫でも受けているように、自分の年齢に怯え、いったいどうすればその娘を自分の傍につなぎとめておけるか、ただそればかりを考えているのだ。
…中略…
同じように私は、レイ子に「わかった」と言う言葉を与え続けたのだ。レイ子の我儘を聞き、レイ子の頼みを聞き、優しさを支払い続けることだけが私の年齢の男に許された愛し方だった。」
センセーショナルなストーリーよりも、こんな地味で、当たり前過ぎるような文面が、真実として胸に染み渡る〜年齢を重ねただけある、小説の楽しみ方ですね